言葉と鉛筆で描く日常風景

日常の風景~水泳


この国の良いところのひとつにプールがある。
50円ほど出せば、水のきれいな25mプールで泳ぐことができる。

毎週1回、僕はクロールで約1時間、2~2.5km泳ぐ。
25mだから往復で40~50回になる。
面倒くさいから、途中で数えることをやめることもある。
1時間で泳げる距離が判っているのだから、そもそも数える必要もない。

泳いでいる間は、自分のペースを忠実に守る。
水中で、少しでもペースを速めると関節や筋肉に負担がかかり、夜苦しむことになるからだ。

自分のペースをキープしている限り、疲れは感じない。
同じ動作の繰り返しだから、自然にいろいろなことを考える。
それは、瞑想と言ってもいいだろう。

日常の生活でそんな風に物事を考える時間が他にあるだろうか、とふと思う。
人間というのは、時々立ち止まって過去を振り返り、そこで起こったことに思考を泳がせることが必要なのだと気付く。

時々、自分が空を飛んでいるような気にもなる。
重力の呪縛から逃れて、すっと空気に浮かぶような感覚が好きだ。

水中では、陽の光に照らし出された水面の波紋がゆらゆらと踊る。
それは、幻想的で生命感に溢れている。
この光と影に身を委ねたいと思う。


ニュウの泉~習作15



美しい線

子供の頃から、線を見るのが好きだった。
描くのは人の横顔や後姿、それに衣服の襞などが好きだが、観る方は何でもいい。
鉛筆の削りくずや足元に落ちている雑巾の波打った様子でも、幸せになれる。

学生の頃は、先生が黒板に書いていることを文字情報として認識するより、文字同士の線のバランスを観ていた。

残念ながら、僕が観ているものと感じている幸せの関係を理解してくれる人はそれほどいない。
でも、そのこと自体は僕にとって問題ではない。

何かを通じて外的世界を認識する喜びというのは、人生の価値において大きな比重を占めると思う。

東南アジア素描~生命と医療


僕は大学で2年間だけ医学を学んだ。
無論、医者になろうなどと大それたことを考えていたわけではない。

いつか、ユーラシアに行くと考えていた。
アジア諸国には、日本のような恵まれた保険制度はない。
一泊するだけで7~8万円相当の費用がかかる病院へ入院できるような地位に身を置ける人は限られている。
あるいは、そもそもそのような高度医療を受けられる病院が身近に存在するかどうかも疑問だった。
基礎医学を学んでおけば、とりあえず自身の身体で何が起こっているか大まかに理解できるし、文字通り基礎的な治療も可能だ。

この国では、人々はごく自然にその生涯を終える。
ひと度、大病を患えばそれで終わりと理解しているのか、あるいは死を必然と受け入れる哲学的宗教的素養が心にあるのか、ともかく普通の人々は定められた生命を自然に終えて他界する。

以前、終末医療に批判的な医師の談話を聞いたことがある。
所謂、末期とされる状態にある人の通常の死因は、病死ではなく餓死だということだった。餓死といっても、飢餓感に苛まれながら死ぬわけではなく、身体が栄養を求めなくなり、水だけで生きながらえる日々の後に自然死するのだそうだ。

日本を出るとき、僕は100冊ほどの日本語の小説をこちらへ送った。
余命○か月と言われたら、喜々として部屋に閉じこもり、読書三昧に耽ること考えて厳選した。

何を読むかというと、それはまた別の機会に。


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