言葉と鉛筆で描く日常風景

出稼ぎの青年が教えてくれたこと


暑いせいかこの国の人々は、のんびりと歩く。
他方、僕はいつもタイトなスケジュールで動いていて、往年のディエゴ・マラドーナみたいなフットワークで人混みをすり抜けていく。

ある時、人ひとりしか通れない隘路で建設作業員と行き会った。
身長160センチほどの肌の黒い小柄な青年だった。ミャンマーかカンボジア辺りからの出稼ぎ労働者だろう。
彼は、ニコリと笑って道を譲ってくれた。
その時、はっと気付いた。
僕はこの青年に道を譲ろうとしただろうか。

その日から自身の行動を変えてみた。

20代の若者と互いに道を譲り合った時、歩道沿いのビルの前に座っていた中年の男性がワハハと笑って嬉しそうに手を叩いた。

前と横から行き会った3人が互いに道を譲り合った時は、3人とも照れ臭そうに笑った。

そして今日の朝、掌に載るほどのキジバトに似た小型の小鳥が僕の進路を横切ろうとして立ち止まった。
ほんの一瞬だけ互いに視線を交わし、それからその小鳥はテトテトとほんの50センチほど前を歩いて行った。


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日常の風景~コンピューターの電源を入れない時間

今日、時間潰しのために立ち寄った書店でStephen KingのThe Shineを購入した。
以前に数回読んだことのある本だったが、何故か目に付いた。

家に帰って読んでみると、忘れていた言葉や興味深い表現が結構あって、早速辞書で調べたりノートに書き留めたりし始めた。
それで、自分がその時間をとても愛おしく感じている、ということに気づいた。
静穏な空間のなかで古びた辞書のページを捲りながら思考をあれこれと巡らす、そんな崇高な時間がここ数年あっただろうか。

プライベートな時間は、インターネットでラジオ・ドラマか音楽を聴きながら絵を描く。
それが僕の日常だが、こうしてコンピュータの電源を入れずに静かに本を読んでいると、ここ数年の自分の心が情緒の方に振れていたような気がした。

本人が気づかないまま、少しずつ本来の自身が在るべき姿から逸れてしまう、ということはよくある。
もし今日という日が無かったら、数年後の僕の人生はかなり退屈なものになっていただろうなと思う。

心象

毎朝夕、僕にとびきりの笑顔をくれる女性がいる。
最初にふっと微笑み、それから、くふっという息遣い共に、愛しているという声が聞こえそうなくらい特別な笑顔をつくる。
この笑顔が、僕の1日をどれほど崇高なものにしてくれているか、ということを彼女は気付いていないだろう。

毎日、楽しみにしている笑顔にも拘らず、僕はこの女性が実際どんな顔をしているのかよく知らない。
記憶で素描しろと言われても、うまく描けないだろう。

時々、そういう人に出会うことがある。
天真爛漫で、自身をつくることを知らない稀有な人々だ。
たぶん、僕はその女性の造形的な像を視覚で認識しているのではなく、心で人格を感知しているのだと思う。

The Green Mile

死刑執行場への道、人々はそれをGreen Mileと呼んだ。

映画は、夜8時過ぎから始まった。
独りで、しかもそんな時間に映画館に入るのは初めてだった。
たまたま通りかかった映画館に掲げられていたポスターに魅かれてチケットを購入した。

ストーリーも俳優も音楽も、その時の僕の気持ちにフィットした。
掛け値なしに素晴らしい映画だと思った。

11月の深夜近く、僕は10キロほどある道を歩いて帰った。
かちっと冷えきった、澄んだ空気が心地よかった。

両翼に緑と赤のランプを点滅させながら、1機の飛行機が銀色に煌めく星たちなかを南東へ飛んだ。
その時間、僕の大切な人が僕を愛していると言って海外へ飛立って行った。
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