言葉と鉛筆で描く日常風景 ある若き機関員の航海日誌

ある若き機関員の航海日誌(船橋勤務編3)

 日没後、船橋は闇に溶け込み、計器類やコンパスのオレンジ色の光が乗員の顔を淡く照らし出す。空に浮かんだ銀色の月光が、水平線から船に向かってひと筋の道をつくる。それは例えようもなく幻想的で、もし許されるなら木製の小舟にのって櫂を操りながら、いつまでもいつまでも銀色の道を月へ向かって漕いで行きたいと思った。

 洋上の星空はほんとうに宝石を散りばめたような美しさだ。陸上で見る儚げな星と異なり、一つひとつの星が線香花火の火玉みたいに大きく、またうるうると瞬いている。星の色も青や赤、黄色と様々だ。数も陸上とは桁違いで、大きいもの、小さいものと見比べているとそれは普段感じている平面な夜空ではなくて無限の奥行をもった宇宙なのだということが実感できる。
 流れ星も珍しくはない。ひとつ見つけると、次から次へと降って来る。学生の頃、「流れ星が消える前に願い事を終えれば、それが叶う」と本で読み、しばしば夜空を眺めたものだ。が、こんなに降っていてはさすがに有難味が薄れる。

 一度だけ日出の時間に東へ船首を向けたことがあった。その時の光景は今も脳裏に残っている。


 古来より人は月の光を銀のナイフに例えた。静かで鋭利で冷たい、そういう印象だ。他方、陽の光は炎の剣だ。それは熱く力強く、そして神々しい。


 日出時間になると、うっすらと明るんだ水平線上にきらりと光る剣が伸びる。同時に青色の水平線が金色に染まり始める。剣は次第に燃える弧に変化し始め、眼前の光景が黄金色に輝く。空も海も夕暮れのオレンジではなく金色にきらめく。


 僕はそれまで、なぜ人が金色という色彩を崇拝するのか不思議に思っていた。でも、この時それを感覚で理解した。それは、富ではなく文字通りHeaven(神の国)を象徴した。


 船は船首を太陽に向けて真っ直ぐに航走する。舵を握る僕はあまりの神々しさに圧倒されながらも、帽子を目深にかぶり目を逸らさない。僕たちの船には一点の曇りもない。光のなかに入って行けると思った。

ある若き機関員の航海日誌(船橋勤務編2)

 船は宝石を思わせる深い群青色の外洋を滑るように航走する。この群青色は、陸ではけっして見ることが出来ない。想像だが、大航海時代に船に乗り込んだ画家たちはこの色を表現するのに苦労したのではないだろうか。

 時折、イルカの群れが現れ、船から数百メートルほど離れたところを併走する。遊び好きの彼らは、交互に海面から飛び跳ね、愛嬌を振りまく。
 しかし、時速15ノットで航走する船に長くはついていけず次第に遠ざかっていく。

 群れを外れた渡り鳥が羽を休めに後甲板に降り立つこともあった。
 長距離飛行のため極度に疲労した様子で、甲板に降り立つ時も前のめりになって転ぶ寸前だった。乗員たちが腹ばいになってそっと近づき、水や食べ物を供給する。
 鳥が海を渡るのは習性だからと当たり前に考えがちだが、実際それは命がけの行動で、ひと度大洋へ出ると目的地に辿り着くまで羽を休めることも食料や水を補給することもできない。どうしてこんな辛い思いをしてまで海を渡るのだろう、とよく思たものだ。

ある若き機関員の航海日誌(船橋勤務編1)


 僕は普段船底の機械室で勤務するのだが、時折プロペラ角度の遠隔操作
(VPP/ variable pitch
propeller/可変ピッチプロペラ)
のために船橋へ派遣されることがあった。

 船橋は、機械室と何もかもが違った。静かで清潔で、風景が見える。そして何より、憧れの船長の傍で仕事が出来る。

 時折、舵を取れと言われることがある。「面舵は右15度、取舵は左15度。一杯と言われたら、それぞれ30度。戻せと言われたら舵を0度に戻す」とレクチャーを受けて舵を握る。




 操舵の命令は、方位で示されることもある。「進路260度」と言われると、羅針盤(コンパスの大きなもの)を見ながら舵を操作して船首を260度方向に向け、「舵中央」と言われると舵を戻し、船は260度方向を直進する。


 しかしこの操作は、自分の船の感覚を掴むまでは難しい。何故なら大型船はボートと異なり、舵を回したからといってすぐにする転針わけでではないし、一旦回頭し始めると舵を戻してもしばらくは頭を回し続けるからだ。

 船橋には、無線、レーダー、ソナー、機械室、潜水室、ジャイロ室、甲板、調理室など様々な部署から連絡が入る。
 大型船が誰か特定の英雄ではなく分野の異なった専門集団の協力で動いているのだ、ということを僕が初めて実感した時だった。おそらく、機械長は僕にこれを理解させるため船橋へ派遣したのだろうし、船橋は同じ理由で僕に舵を取らせたのだろう。

 機械室にいる僕が何かミスをしたら、その影響は全体に及ぶ。その日以降、僕は暇さえあれば机にかじりつき、専門書を片端から読み漁った。

ある若き機関員の航海日誌(港でのひと時編) 

  午後5時過ぎになると各居住区は外出組の身支度で騒がしくなる。航海中、船に閉じ込められている船乗りにとって、帰港時の外出は何より嬉しい。皆、朝から「今日は、あの店で何を食べよう」などと話し合い、夕方の外出を楽しみに待つ。

 彼らが街へ繰り出すと、船はかなり静かになる。いささかほっとする時間でもある。居残り組は、夕食後船内を清掃し、残りの時間をのんびり過ごす。

 僕の場合、後甲板で釣りをして過ごすのが好きだった。穏やかな潮風に吹かれながら、さざ波が舷側を洗う音に耳を傾けるのは心地よい。

 日没後は、岸壁や浮桟橋に設置されているオレンジ色のハロゲン灯に誘われて、色々な魚やイカが寄って来る。それらを釣り上げては、その場で捌き刺身にする。

 ことにイカは格別で、透明でコリコリとした刺身をうずらの生卵入り醤油に泳がせ、口に放り込むときの幸福感はちょっと筆では表しにくい。

 そんなことを1人でやっていると、先輩たちが飲み物やポータブルのカセットレコダーなどを持参してやって来る。

 郷里のこと、彼女のこと、仕事のことなどを誰となくポツリポツリと話し出すが、陸上の人々のように上司の悪口や仕事の愚痴などは出ない。乗員は船長を含め皆家族同様だし、自然相手の仕事だからだ。

 僕みたいな新米は、何か悩みがあってもこのような機会に遠慮なく上司へ相談できる。そんな時、上司は説教じみたことをけっして言わない。彼らにとって、部下が口に出すことの大半は自身がかつて通った道のひとつなのだ。その時、自分がどう考え、どう行動し、後で振り返ってどう思ったのか、ということを息子や弟に語るように説明してくれる。

 午後10時、夜食調理と風呂のために稼働していたボイラーを停止し、残った蒸気を排気塔から吹き出し、内壁に付いたすすを吹き飛ばす。船は、遠くで漁火が明滅する静寂に同化する。

ある若き機関員の航海日誌(潮流編)

 瀬戸内海から紀伊水道を抜け、和歌山沖へ出る。

 前に触れた通り、機関員は出入港時、常に機械室に居るので、景色の移り変わりや船の位置情報には疎い。「今日は、和歌山沖に停泊」と聞けば、大まかな日本地図を頭に描き、「ああ、あの辺か」というくらいの検討をつけるに過ぎない。 

 投錨後、露天甲板に上がったとき、眼前の光景に驚いた。海が一面どす黒いのだ。そう、黒潮だ。しかも、舷側に下ろされたタラップの足元を見ると、海が川のように流れている。
 「こんなところに落ちたら、ひとたまりもないな」、思わず身震いしたものだ。

 以前、別府湾の沖で潮に流されたことがあった。
 作業艇を母船から下ろし出発の準備をしている最中、海中に浮遊しているロープがスクリューに絡んでしまった。
 まだ2月初旬のことで海水は氷のように冷たく、北風が吹きすさぶ最中のことだったので、艇長が作業艇をいったん母船の甲板へ戻すようトランシーバーを通じて船橋に要請していた。

 その時、僕は機関長として作業艇に乗っていた。当然、スクリューは機関員の担当で、それについてはプライドというものがあった。作業服ごと海に飛び込みスクリューを点検しようとした瞬間、すっと身体が艇から離れた。
 「まずい、潮流だ」と思った時には、5~6メートル程後方に流されていた。が、船乗りが海で溺れたとあっては、末代までの笑い者になる。少し恰好が悪かったが、全力で泳いで潮流を遡上し、息絶え絶えに作業艇のスクリューを掴んだ。

 これで、やっと仕事の準備に戻れたわけだ。
 「お前、大丈夫か?」と呆れる艇長の声に手を振り、水中眼鏡とシュノーケル、それに足ヒレを受け取った。この3点があれば、水の中で好きに動ける。魚になったのと同じだ。
 常時携帯しているナイフでスクリューに絡みついたロープをばらしにかかった。幸い、航走中に絡まったものではなかったので、20分ほどで作業は終了した。

 ずぶ濡れで居住区へ戻ると、思いがけず拍手喝采で迎えられた。普段、絶対に褒めない直属の上司までが、「馬鹿は、”馬鹿なり”に役に立つな」と苦笑いした。彼としては、「2月の海、しかも潮流のなかに飛び込む馬鹿がいるか!」と怒鳴りつけたかったのだが、一応無事に帰って来ており、機関員としての役割も果たしているので、苦笑いで折り合いをつけたわけだ。

 さらに驚いたことに、機械長の判断で僕ひとりのためにボイラーを起動し、風呂を準備してくれていた。
 船の浴室といえば、狭いスペースにどっと人が入るので、平素は込み合っている。1人でポツンと入っていると、何か落ち着かない。
 「どうもな・・・」、ちゃぷんとお湯の中に頭を沈めて考える。「拍手より怒鳴られている方が性に合っている」と思った。
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