言葉と鉛筆で描く日常風景 201411

The spring of New (ニュウの泉/ 見返し)



The spring of New
Water and Wind

Everyone who drinks this water will be thirsty again. But whoever drinks the water I give will never be thirsty. The water I give will become a spring of water gushing up inside that person, giving eternal life. John 4: 13

この水を飲む者は、誰でも再び喉が渇きます。 しかし、私が与える水を飲む者は、誰であれ、決して喉の渇きを覚えることがありません。私が与える水は、その人のうちに湧き出る泉水となり、永遠の生命を与えるでしょう。 ヨハネによる福音書 4:13

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野鳥物語~相手に慣れること

3.相手に慣れること

 カップルは、はじめ僕という存在にちょっと神経質だった。

 例えば、雄(だと思う)は帰って来てもすぐに巣に入らず、いったん物干し台にとまって辺りを見回す。大抵は外側を向いているが、時折、横目で部屋の中も観察しているようだった。
 それで、彼らがベランダで何かしているときは、部屋で大きな音を立てたり急な動きをしないようにしていた。

 そんな僕を見て、外国人の妻が呆れて言った。
 「気二シ過ギ。アッチモ人間ガイルノヲ知ッテイテ巣ヲ作ッタンダカラサ」
 妻の言うところによれば、ある種の小鳥は人間の近くの方が安全であることを知っていて、あえてアパートの上層階などに巣を作るのだそうだ。

 そうは言っても、例えばベランダの横には洗面所があって、出て来るときにベランダ側にいるカップルとバッタリ出くわすことがある。そういう時はお互いはっと息をのんで目を丸くする。

 でも小鳥の方がだんだん慣れてきて、驚いていったん飛び立っても、50センチくらいの円を描いてブーメランみたいに戻って来るようになった。

 パサパサ・シュルルル・ピタッ。うん、大した飛行技術だ。


翻訳
パサパサ:ひえっ
シュルルル:あっ何だ、アイツか
ピタッ:おどかすなよ、プンプン!

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野鳥物語~小鳥たちの一日

2.小鳥たちの一日

 小鳥たちは、毎朝6時頃に巣の入口に立って、クリックリッと騒ぎ始める。その様子は、まるで子供たちが「早くう、遅れるよ。行くよー!」と言っているみたいで可笑しくもある。
 そうして、岸壁からダイブするみたいに羽を閉じて、ひゅんっと飛び出していく。

 それにしても、小鳥はどうやってそんなに正確な時間を知ることが出来るのだろうか、と不思議に思う。頭の中でジリリリーッとベルが鳴るのかな・・・。

 窓から外の森林を見渡すと、午後5頃から鳥たちが東へ西へと忙しく飛び交い始める。どうやら、野鳥にとってこの時刻が一日の終わりであるらしい、ということにはじめて気づいた。

 我が家のカップルは、大体5時から5時半頃に帰ってくる。出掛ける時と違って、ばさばさと大きな音をたてて物干し台にとまると、ピィーピィーと甘えるような声を出しながら巣の中へ入って行く。

 「はあ、疲れたぁ。明日も大変だから、はやく寝よっと」

 時々帰りが遅くなることがあって、そんな日はとても心配する。暗くて道に迷っているんじゃないだろうか、大きな鳥にいじめられていないだろうか、と幾度も窓の方を眺める。

 ちなみに、僕は小鳥が巣に入る様子を見るのが大好きだ。テトテトと歩を進めて入っていくのではなくて、ピョンと飛び込む。

 ピョン、パフン!

 漫画だったらホコリがぶわっと上がりそう。でも、きっとフカフカしていて寝心地がいいんだろうな。

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野鳥物語~同居の始まり

1. 同居の始まり

 暑い夏が終わり、ようやく雨季に入ってほっとしていたある日、僕の住んでいるアパートのベランダ(4階)に2羽の小鳥がやって来た。

 1羽は30センチほどの長さの藁を咥えていた。もう1羽は、パートナーがエアコンの室外機の横で何やらごそごそやっている間、あたりを警戒するように見渡していた。

 異国のことなので小鳥の名前は判らないが、シマキンパラに似ているような気もする。
 雀よりもひと回り小さい身体で、全体が灰褐色、お腹はまだら模様だ。嘴は黒光りしていて、文鳥のように丸くて短い。
 クリックリッとオカリナの音色のようにやさしい声でさえずるが、大きな声で鳴くときはクピーッというふうに変わる。

 小鳥たちが帰った後、そっと室外機の横を覗いてみると、どうやら巣づくりを始めたらしい、ということが判った
 巣は後ろ側から作られていく。長い草を交互に織り込んで器用に丸い形に整形し、最後に入口のところを狭く頑丈に造る。試みにそっと手で触ってみたが、けっこう固くできていて、適度に弾力もある。

 巣材はほとんど枯草だが、時には青く瑞々しい草も運んで来る。青草というのは、人間の手でも簡単に引き抜けないし、水分を含んでいるのでずいぶんと重いはずだ。噛み切っているのだろうか、こんな重いモノをあの小さな翼でどうやって運んでくるのだろうか、と興味深いことばかり。

 その日以降、小鳥たちは毎日朝から夕方まで休みなく青草や藁を運んで来た。そして、7日目には立派な巣ができあがり、8日目にカップルで越して来た。

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ボーイズ・ライフ

 男の子は自我の芽生えが遅く、寝ても覚めても夢心地というような日々が長く続く。

 ジョン・ケネディ大統領の母ローズ・ケネディ夫人は、幼い頃のジャック(ジョン)について下記のように語っている。

I often had a feeling his mind was only half-occupied with the subject at hand,..............., and the rest of his thoughts were far away weaving daydreams. (Times to Remember/ R. F. Kennedy)

 ジャックは目の前のことに意識の半分くらいは向けるが、残りの半分ははるか遠くにあって、夢想を紡ぐのに忙しかった。

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子供の頃
人は無意識から目覚め
自我を探し始める

私は誰だろう
私はどうしてここにいるんだろう

時を経て 自我がたくさんの意識を蓄積したとき
人はそれを空へ放つ

それは霧が薄らいでいくように ゆっくりと消えていく
私という自我と共に

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Bible 2

 僕はクリスチャンではないが、聖書(英訳)は3回ほど通しで読んだ。3回というのは、異なるバージョンを3種類という意味だ。
 ちなみに、英語の聖書は旧約聖書と新約聖書から成り、数種類の翻訳がある。
 聖書をバイブルと呼び、旧約聖書はオールド・テスタメント、新約はニュー・テスタメントと呼ぶ。

 聖書を読もうとした理由は、英語の学習と西洋文化への理解にあった。
 まず英語の学習だが、聖書は古い書物なので、生活に密着した単語が数多く使用され、かつ同じ単語・似たフレーズが繰り返し出て来る。それゆえ、英文読書の学習には最適なのである。
 次に、哲学・芸術・倫理・音楽・文学などおよそすべての西洋文化の根底には、キリスト教の思想がある。つまり、西洋文化を本当の意味で理解したければ、自分のなかに聖書のエッセンスを取り込む他ないのである。

 新約聖書の方はキリストの物語なので、クリスチャンでないとなかなか入り込めない部分があるが、旧約に登場するのは天地の創造主であるゴッド(神)なので、原始宗教(自然のどこにでも精霊がいると信じ、それらに敬意を払う)を慣習として信じている日本人には馴染み易いと思う。

 英文の小説を読みたいという方は、試してみて損はないだろう。ちなみに英語の本が読めるようになると、世界中の作家の本が選択範囲に入るので、楽しみが一気に拡がる。

Contemporary English Version/ 平易な英語が用いられているので、英文の勉強に最適。用語の解説がページの下部に記載されているので、学童用だろう。

New Century Version/ 上と同様、平易な英語で書かれている。手の平サイズ・大きな文字のものが出版されていて、ベッドの上で寝る前に読むのに適している。

King James Version / 古風な英語が用いられているので、慣れないと難しい。表現に味わいがあるので、教会へ行くと愛用している人によく出会う。プロテスタントによって承認された、とある。

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ジョン・ケネディ大統領とロバート・ケネディ司法長官




 故ケネディ大統領の伝記を読んだのは、10歳の頃だった。古いことなので、詳細な内容は忘れたが、理性・勇気・責任、そういったものがエッセンスとして彼の精神のなかにあった、とかすかに記憶している。

 Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.
 国家が諸君のために何をなし得るかを問うな。諸君が国家のために何をなし得るかを問い給え。

 ケネディの大統領就任演説のなかの有名な一節である。この大統領の特異な点は、イデオロギーや利害といったものに立脚せず、普遍的な人間理性という観点から、米国民のみならず世界中の人々に対し、未来への挑戦を呼び掛けていることだろう。

 国民が各々自分の利害を考えて国に要求ばかりしていては、国政は混とんに陥る。各国が互いに自国の利害を争う場合も同様だ。それゆえ、「皆で力を合わせて、自由で貧困や差別のない社会を実現しよう」と、述べているのである。
 
 この偉大な指導者の命が失われたとき、「アメリカは未来と希望をも同時に失った」と人々は嘆いた。また、「もし彼が生きていたなら、その後の世界はまったく違ったものになっていただろう」、という意見は今日でも耳にする。

 大統領の死後、アメリカ社会はベトナム内戦への本格的な介入により停滞し、指導者を失った若者たちの間では、ヒッピーと呼ばれる怠惰な無政府主義やカルト宗教、薬物などが蔓延った。

 「私たちにはもう何もないのだろうか」と空を見上げ問うた人々の心に、兄同様暗殺されたロバート・ケネディの言葉が再び立ち上がる勇気を与えた、そう信じたいと思う。

 The future is not a gift; it is an achievement. 
 未来は与えられるものではない。それは勝ち取るものだ。

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