言葉と鉛筆で描く日常風景 201506

素足のうさぎ~昇り棒



8.昇り棒

黄色い登り棒を指さし、
少女は「てっぺんへ行こう」と言った。

バランスをうまく取りながら、
「落ちちゃダメよ」と何度も僕を見る。

どこに居ても人のことばかり心配する子。

8. A climbing poles

'Let's go to the top,'
The girl pointed the yellow climbing poles with a index finger.
She cautiously kept the balance, and told me not to drop down.

She always worried about a friend instead of herself.

ある若き機関員の航海日誌(出港編)

 ”出港”という言葉そのものは船が港から出ることを意味するが、この世界では出発全般を指す。つまり、港内の岸壁係留ではなく、港外に錨泊している状態(錨を投入して船を固定している状態)からの出発も「出港」になる。いずれにしても、出入港は船にとって一種のお祭りだ。

 出港日の早朝、新米の僕は機械室に1人で入り、船底と舷側に設けられた各種バルブを開ける。メイン・エンジン、空気圧縮機を除き、発電機、海水ポンプ、清水ポンプ、ボイラー等ほぼ全ての機器をその場で起動する。
 さらに、メイン・エンジン冷却用の真水を蒸気で温め、ポンプでエンジン内を循環させる。
 人の背丈を越えるようなピストンが並ぶ巨大なエンジンは、いきなり起動させれば壊れる。80度くらいの温水で各部を温め、金属を膨張させると共に、潤滑油の粘度(粘り具合)を下げる必要がある。加えて、エンジンのクランク軸とプロペラ軸が繋がる部分にモーター駆動の歯車を噛ませ、外部からゆっくりとエンジンを回転させ、サラサラになった潤滑油が各部で十分な被膜をつくるよう環境を整える。
 
 岸壁係留の場合、出港の数時間前に電源を陸上から船内に切り替える(錨泊の場合、発電機は24時間稼働し、船内に電力を供給している)。
 メイン・エンジンの暖機を始めて1時間後、内部を循環する真水の温度が入口と出口でほぼ等しくなる。ここで蒸気を止め、クランク軸に噛ませてある歯車を引き離す。これで、機械室の出港準備は完了だ。

 出港1時間前、機関員全員が配置につき、僕は通信ボックスに入る。
 僕はこの役割が好きだった。機関員は出入港時常に機械室にいるので、当然のことながらその光景を目にすることはない。油の匂いと熱と騒音に満たされた船底の機械室で船橋からの指示をじっと待つ。
 その機械室で、唯一外部の状況をモニタリングしているのが通信担当の僕で、船内通信を通じ、主に船橋と露天甲板、それに錨鎖庫の間で交わされる会話から船の状況を把握し、手話(発電機の騒音で、声は聞こえない)でそれを機械長に伝える。

 露天甲板では錨鎖が揚錨機によって巻き上げられ、その状況が数分おきに船橋へ伝えられる。その間、錨の風下側に位置する船体が少しずつ錨の方へ近づいていく。
 錨真下、メインエンジン起動準備、抜錨、錨収納と矢継ぎ早に連絡が入る。
 機械室に備えられたテレグラフがチリンチリンと鳴り、矢印が真ちゅうのプレートに刻まれた微速前進という文字を指す。すかさず、中堅の機関員が圧縮空気を巨大なシリンダーに吹き込み、メイン・エンジンを起動させる。
 同時に船橋から、「08:20、出港!」という号令が入り、舷側の分厚い鉄板ごしにザアッと波が流れる音が聞こえ出す。船が鉄の静物から生命体に変わる瞬間だ。そうしてこの時、すべての乗員が船に誇りを感じ、気持ちをひとつにする。

 「ブラボー、俺たちの船だ!」と心で叫ぶ。

素足のうさぎ~夕暮れ時



7.夕暮れ時

夕暮れ時、
茜色の空には既にいくらかの星が淡く灯りはじめ、
時を忘れてはしゃぎすぎた少女の帰り道を
そっと照らし出してくれる。

7. At the sunset

At the sunset, a number of stars twinkled in the sky of color of madder.
It lightened the way home of the frolicsome girl who forgot the time.

ある若き機関員の航海日誌(潜水作業編)

 僕が勤務していたのは特殊な作業船で、潜水のエキスパートたちが数多く乗っていた。
 船の後部には潜水室と呼ばれる区画があり、150kg/㎤の高圧空気圧縮機と巨大な気蓄器、直径2.5m程の再圧室、そして軟式潜水用ヘルメットやエア・タンクがずらりと並んだ棚が備えられていた。

 再圧室というのは、潜水病を防ぐための特殊なタンクで、日本国内でこれを備えている施設は数えるほどしかない。
 潜水病をごく大雑把に言えば、水中で高圧高濃度の空気を吸った結果、空気の78%を占める窒素が血液に溶け込んでしまい、それが浮上の際の減圧で気泡となり血管に詰まる、という病気のことだ。これは、高圧で封入されている炭酸飲料の蓋を開けると、液体に溶け込んでいた炭酸が減圧で泡となるのと同じ原理だ。
 気泡が抹消の毛細血管に詰まると、そこから先に血液が供給されなくなる。その結果神経細胞が壊死し、半身不随というような後遺症を引き起こす。
 これを防ぐには、滞底していた水深と時間に応じた減圧が必要で、通常は水深18m地点で数分待ち、12m地点でさらに数分待つというようにして、血液中から窒素を気泡化させずに抜いていく。
 但し、僕の上司たちが行っていた特殊な潜水作業の場合、これでは到底足りず、浮上した後にすぐ再圧室に入り、そこで水中下と同様の圧力を再現し、数時間または数日をかけてゆっくりと窒素を逃がす作業をするわけだ。
 
 潜水作業のクルーたちは、水温・荒天などに構うことなく、水中で命に関わるような危険と隣り合わせの作業を繰り返す。寡黙で勇敢、そしてタフであり、僕のような新米の船乗りにとっては海の男の象徴のような存在だった。

 ちなみに僕自身も潜水士の資格を保有しており、船では潜水作業に従事しなかったものの、時折、深夜の海に1人で潜り、水深12mくらいの海底で1時間くらい寝転がっていることがあった。

 夜の海底は、都会で育った人には想像が及ばないほど完璧な闇と静寂に支配されている。そのような状況に身を任せていると、じきに肉体の感覚が消失していき、空間という概念も消える。あたかも無のなかに自身の意識だけが浮かんでいるような気持ちになる。
 意識がそのような状態になると、自我がさまざま欲望や煩悩から解放される。同時に表層意識としての自分が現世で生きるために、いかに多くのものを抱え込んでいるのかということを思い知らされるのだ。
 あるいは、こう言ってもいいかも知れない。人間は、生きるために仮面を付け、何かに成りすましていると。

素足のうさぎ~ハンカチ



6.ハンカチ

僕と同じ名前の入ったハンカチを黙って指さす。

僕が微笑むと、少女もまたその面にうっすらと笑みを湛え、
今度は自分の名前のはいったハンカチを指さした。

6. A handkerchief

The girl pointed at a handkerchief which the name same as me was written.

I smiled at her.
Then she innocently pointed another handkerchief that her name was written.

素足のうさぎ~草笛



5.草笛

道端にある一群の草を分けて、
少女は小さな草笛を作った。

ささやかな楽器は、
少女の愛らしい唇に触れると風のように鳴いた。

5. Kusabue

The girl divided the weed on the roadside, then made a small kusabue.

When the girl's lovely lips touched the musical instrument of grass, it made a sound as wind.

ある若き機関員の航海日誌(船のお仕事編)

 船舶勤務というと、ちょっと想像がつかないという方が多いと思う。そこで多少退屈だが、今回はこの点について説明しておこう。

 船の仕事は、甲板・航海・機関・給養の4つに大別される。順番に説明しよう。
 甲板は、出入港時のロープ・ワーク、錨の取扱い、デリック(荷物の釣り上げ移動)の操作、作業艇の運行などを担当する。豪快で勇敢なお父さんタイプの人が多く、彼らの後にいれば怖いものはない。
 航海は、舵輪の操作はもとより、レーダー、ソナー、通信、など操船に関わる主要な判断と操作を担当する。文字通り、船の中枢部を担う。大自然を科学と数学と哲学で捉えるインテリ・タイプだが、外部とのやり取りを行う部署でもあるので、洗練された社交性を有している。
 機関は、推進力をつくるメイン・エンジン、発電機、空気圧縮機、冷凍冷蔵機、ボイラー、各種ポンプ類などの操作・整備などを担当する。寡黙で物事を理詰めで考える頑固者が多いが、機械に触れ、音を聴くことでそれを理解するという、動物学者みたいな繊細な部分もある。
 最後に、給養は調理、補給、経理などを担当する。調理に関わることから、芸術家肌の人が多く、絶対に妥協できない自分だけの洗練された世界を内心に秘めている。

 航海中は3直3時間制といって、上記各部署がそれぞれ3班に分かれて3時間ずつ交代で当直に入る。つまり機関なら3時間機械室でエンジンその他の機器の操作と点検を行い、6時間休む。
 ただし、昼間にも当直外の仕事があり、また新米は皿洗いなどの雑務も担当するので、6時間まるまる休めるわけではない。

 船が母港に入っているときは、普通の会社と同様、朝8時から午後5時までの勤務になる。
 日常の業務は、次の出港に備えての整備点検・必要備品の補給、不具合箇所の修繕などで、当然、食料や水、燃料などの補給も行う。
 また、航海中に取ることのできなかった休日をまとめてもらうので、家族と共に数日家で過ごすことができる。
 ちなみに独身だった僕に会いたい人はいなかったし、また、それ以上に船が好きだったので、母港停泊中でも船に留まることが多かった。言い換えれば、船は僕の家で、船員は家族だったわけだ。

素足のうさぎ~子ウサギ



4.子ウサギ

僕を見つけても、
他の子のように飛んでは来ない。

いつでも遠くから微笑み、
声をかけると子ウサギのようにさっと駆け出す。

やっと追いついて抱き上げると、
少女は息を切らしながら言った。

お兄ちゃん!

4. A little rabbit

Even if the girl found me, she never came close to me unlike the other children.

She only smiled from far side, then ran away like a little rabbit as soon as I called her name.

When I caught up the girl somehow, she was out of breath and whispered my name.

観察するということについて

Use the eyes in your head! I can't see a bloody thing, and here you're spouting drivel about 'your average lamppost' and 'perfectly ordinary manhole covers'. No two things are alike, you fool, any bumpkin knows that. (Moon Palace/ Paul Auster)

お前の目は何を見ている?お前がだらだらと口にしているのは、お前の頭のなかにある、ありきたりの街灯やマンホールの蓋だろうが。この世に同じものは二つとないのだ。そんなことはアホでも知っておるわい。(ムーン・パレス/ポール・オースター)

上の文章は、主人公の青年が車椅子に乗った盲目の老人の代わりに街の風景を見て、言葉でそれを説明している際に返って来た反応だ。

人間は物事を把握する際に、全体をひと括りにして定型的に表現しがちだ。その方が簡単だし、誰かに説明する際に苦労せずにすむ。

だが、世界は無数の個の相互関係で成り立っており、それを度外視して物事を観念的に捉え過ぎると、出来上がった像は原型とは随分異なったものになってしまう。

ちなみに僕も主人公同様、観察するという行為が苦手で、何かを見る時いつも記憶にある適当な像を当てはめて済ませていた。
子供の頃にこの言葉と出合い、きちんとそれを理解していたら、リアリティを伴った意味深い認識世界で多感な時期を過ごせただろうなと思う。
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