言葉と鉛筆で描く日常風景 201507

いつか出会える素敵な誰かさんへ~続・眼差し



続・眼差し

 しかしながら、この子は僕が見ているのを知るとすぐにこんな顔をするので、せっかくの美人が台無しになるのであった。

いつか出会える素敵な誰かさんへ~眼差し



眼差し

僕が”神の軍隊”と呼んでいた少女。

いつも、向日葵のように笑い、
いつも、雀のように喧しく、
いつも、春先の突風のように勇ましかった。

でも、ある日ふと僕に向けた眼差しは、
こんなにも繊細だった。

素足のうさぎ~ホワイトナイト



11.ホワイト・ナイト

しんしんと雪が降る。
音もなく、風もなく。

こんな夜は、きっとあの子もじっと空を見ているに違いない。
今日のことを考えて。
明日のことを考えて。

11. White night

Large snowflake fell one by one in the silent, windless night.

In such a night, the girl must be looking at the sky.

Thinking of today.
Thinking of tomorrow.

アルベール・カミュの言葉~ペストより

'No, father,' he said. 'I have a different notion of love; and to the day I die I shall refuse to love of this creation in which children are tortured.' (The Plague/ Albert Camus)

 いいえ、神父さん。私は愛について異なる意見をもっています。子供たちにこのような酷い苦しみを味あわせるような世の中を私は死ぬまで愛そうとは思いません。(ペスト/ アルベール・カミュ)

 想像を絶するペストの災禍のもとに在って、神父パヌル―は信仰を失う(なぜ神は善良な人々、純粋無垢の子供を見捨てるのかという矛盾)か、または思考を転換して事態を肯定的、つまり神が与えた試練として受け止めるかの二者選択を迫られる。
 「子供たちの苦しみは、我々にとって苦いパンだ。しかし、このパン(信仰=取捨選択をせず全てを受け入れること)がなければ我々は魂の飢餓よって死ぬだろう」と彼は言う。

 しかし、医師として人の命を救うことに全力を注ぐリゥーの意見は異なる。子供の悲惨と引き換えの魂の救済などクソくらえだ、と考える。

 理想や主義と現実に起っていることを結びつけるために、人はよく辻褄合わせの論理を構築する。無論、それが善意に基づくものであれば、それはそれで問題ではない。何故なら、人間は考えることのできる生き物だからだ。
 ただ注意しなければならないのは、我々人間の思考は往々にして現実から遊離して観念的な世界を彷徨しがちだ、ということだ。

 神父パヌルーの言う”子供”は、観念的な存在だ。
 思考を”現実の子供”から”観念的な子供”に転換させることで、その小さな命の灯が消えていくことに対する心の痛みを和らげ、あるいは消し去ることができる。だが、その痛みという感覚を麻痺させると、最初はその気がなくとも、いずれ「大義のためには、子供の犠牲もやむを得ない」というふうになりかねないのだ。
 
 他方、医師リゥーの言う”子供”は、心と温もりをもった現実の生命だ。だから、観念的に創り上げられた論理に従い、子供の犠牲を愛(信仰への理解)で受け止めることを断じて拒否する。彼の愛は、現実の子供の命を救うことにあるのだ。

素足のうさぎ~青とお魚



「青色とお魚が好き」
少女は僕にそう言った。

その言葉は、少女がもっている雰囲気によく合った。

しんと静まり返った青い世界。
そして、密度の濃い空気。

僕はそういうものを少女の周囲から感じていた。

素足のうさぎ~伝えたいこと



10.伝えたいこと

ひとりはイヤ。
たくさんもイヤ。
ふたりがいい。だってお話がいっぱいできるもの。

誰かに伝えたいことがあって、
それは素敵な宝物だよ。

10. Thought

I don't want to be alone.
I don't want to be in a group.

I want to be with a friend.
Since I can talk plenty.

Having something to tell is a precious treasure.

開高健の言葉~ベトナム戦争について

 ・・・あまりの圧力におされるあまり、ついついその事実を生じさせるに至った背景なるものに言及せずにはいられなくなる。そこで、戦争とか、革命とか、戦術とか、戦略とか、歴史とか、伝統とかについて思考をめぐらさずにはいられなくなる。~中略~この誘惑に体をゆだねてしまうと小説家が蒸発してしまうのである。人間が、その眼、その息、その声音、ふとした一瞬にかくされたおびただしい空の気配が消えてしまうのである。大を考えつつも小を痛く感じつづけていかなければならないのに・・・以下省略。(開口閉口/ 開高健)

 我々は、おそらくマスコミの影響もあって、物事を抽象的に捉えることに慣れ過ぎてしまっている。

 まず、新聞などの情報媒体が、自由主義・共産主義・帝国主義・民族独立・東西冷戦・代理戦争・殺傷率などの学術用語を多用し、ベトナム戦争という事象を言葉の商品みたいにパッケージして説明する。限られた紙面で事態を説明しようとすれば、どうしても俯瞰という手法を採らざるを得ないのだ。
 そして、一般の人々がそうした小ぎれいな言葉を紡ぎ合わせて観念的な戦争という物語を夢想する。
 しかし、そこに登場するのは、コミュニスト・帝国主義者・人民などやはり観念的な”人間”であり、血と肉をもった現実のA男、B子ではない。開高氏が上で言っているのは、そういうことだ。

 一般的に作家は、物事を抽象的に捉えることを嫌い、ある事象のもとで営まれる人々の生命・生活を通し、個々の人が何をどのように感じ、考え、そしてどのように行動したかを描こうとする。

※開高健氏は、1960年代ベトナム戦争の従軍記者として現地を取材し、それに関する様々な作品を遺している。

ある若き機関員の航海日誌(潮流編)

 瀬戸内海から紀伊水道を抜け、和歌山沖へ出る。

 前に触れた通り、機関員は出入港時、常に機械室に居るので、景色の移り変わりや船の位置情報には疎い。「今日は、和歌山沖に停泊」と聞けば、大まかな日本地図を頭に描き、「ああ、あの辺か」というくらいの検討をつけるに過ぎない。 

 投錨後、露天甲板に上がったとき、眼前の光景に驚いた。海が一面どす黒いのだ。そう、黒潮だ。しかも、舷側に下ろされたタラップの足元を見ると、海が川のように流れている。
 「こんなところに落ちたら、ひとたまりもないな」、思わず身震いしたものだ。

 以前、別府湾の沖で潮に流されたことがあった。
 作業艇を母船から下ろし出発の準備をしている最中、海中に浮遊しているロープがスクリューに絡んでしまった。
 まだ2月初旬のことで海水は氷のように冷たく、北風が吹きすさぶ最中のことだったので、艇長が作業艇をいったん母船の甲板へ戻すようトランシーバーを通じて船橋に要請していた。

 その時、僕は機関長として作業艇に乗っていた。当然、スクリューは機関員の担当で、それについてはプライドというものがあった。作業服ごと海に飛び込みスクリューを点検しようとした瞬間、すっと身体が艇から離れた。
 「まずい、潮流だ」と思った時には、5~6メートル程後方に流されていた。が、船乗りが海で溺れたとあっては、末代までの笑い者になる。少し恰好が悪かったが、全力で泳いで潮流を遡上し、息絶え絶えに作業艇のスクリューを掴んだ。

 これで、やっと仕事の準備に戻れたわけだ。
 「お前、大丈夫か?」と呆れる艇長の声に手を振り、水中眼鏡とシュノーケル、それに足ヒレを受け取った。この3点があれば、水の中で好きに動ける。魚になったのと同じだ。
 常時携帯しているナイフでスクリューに絡みついたロープをばらしにかかった。幸い、航走中に絡まったものではなかったので、20分ほどで作業は終了した。

 ずぶ濡れで居住区へ戻ると、思いがけず拍手喝采で迎えられた。普段、絶対に褒めない直属の上司までが、「馬鹿は、”馬鹿なり”に役に立つな」と苦笑いした。彼としては、「2月の海、しかも潮流のなかに飛び込む馬鹿がいるか!」と怒鳴りつけたかったのだが、一応無事に帰って来ており、機関員としての役割も果たしているので、苦笑いで折り合いをつけたわけだ。

 さらに驚いたことに、機械長の判断で僕ひとりのためにボイラーを起動し、風呂を準備してくれていた。
 船の浴室といえば、狭いスペースにどっと人が入るので、平素は込み合っている。1人でポツンと入っていると、何か落ち着かない。
 「どうもな・・・」、ちゃぷんとお湯の中に頭を沈めて考える。「拍手より怒鳴られている方が性に合っている」と思った。

素足のうさぎ~渡り鳥



9.渡り鳥

灰色の季節に追われて、
北から逃げてきた渡り鳥たち。

いつも空を見上げているから、
誰よりも先に見つけることができるね。

「小鳥さん 海に行くの?」

ふと自分の腕のなかで丸くなっているこの子がどこか遠くへ行ってしまいそうな気がして、
思わずきゅっと抱きしめた。

9. Migratory birds

The migratory birds which were chased by the gray season, and fled from the north.

The girl could find them earlier than anyone else because she was always looking at the sky.

Are the birds going to sea?

I hugged the girl tightly because I suddenly felt as if she who nestled on my lap would go to somewhere.

タイ語版のノルウェイの森(村上春樹著)

นอร์วีเจียน วูด โดย ฮารูกิ มูราคามิ
Norwegian Wood by Haruki Murakami

 タイ語版のノルウェイの森(村上春樹著)を読み終えた。

 最初は1ページ読むのに40分以上費やし、かつノート1ページ分の単語を調べて記入した(記録した単語総数は単純計算で3,640語)。
 「これでは、読み終えるのに2,3年かかるかな」と思ったが、半分を過ぎた頃からペースが上がり、3分の2を終えた辺りで寝転がって読めるようになった。
 但し、あらためて最初から読み返してみると、前半部分で読み飛ばしていたり暗記できていない単語が約5~7%程あった。多分、あと2回ほど目を通せば、本当の意味で「読んだ」と言い得るだろう。

 さて、僕は村上春樹の本を英語で読むのが好きだ。日本語よりいいと思う。翻訳が素晴らしいせいもあるが、おそらく村上氏の感覚そのものが西欧文化に馴染んでいるからだと思う。

 村上氏の本は複数の言語に翻訳されている。今回、タイ語版を読んで、これは英語からの翻訳だと判った。おそらく、他の言語版も同様なのだろう。そして、少なくともタイ語版に関しては、英語版の良さを上手く引き継いでいると思う。だから、読書の習慣があまりないこの国でも愛読者が多いのだろう。

 ノルウェイの森は、大学生の頃に出合って以来、ほんとうに多くのものを僕に与えてくれた。人生の価値のひとつは、優れた作家と同じ時代に生きる幸運に恵まれることだと思う。
 村上春樹氏には、心から感謝したい。

ความตายมิใช่ภาคตรงข้ามของชีวิต หากแต่เป็นส่วนหนึงของชีวิต
Death is not the opposite of life, but a part of it.
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
フリーエリア