言葉と鉛筆で描く日常風景 201508

ある若き機関員の航海日誌(船橋勤務編1)


 僕は普段船底の機械室で勤務するのだが、時折プロペラ角度の遠隔操作
(VPP/ variable pitch
propeller/可変ピッチプロペラ)
のために船橋へ派遣されることがあった。

 船橋は、機械室と何もかもが違った。静かで清潔で、風景が見える。そして何より、憧れの船長の傍で仕事が出来る。

 時折、舵を取れと言われることがある。「面舵は右15度、取舵は左15度。一杯と言われたら、それぞれ30度。戻せと言われたら舵を0度に戻す」とレクチャーを受けて舵を握る。




 操舵の命令は、方位で示されることもある。「進路260度」と言われると、羅針盤(コンパスの大きなもの)を見ながら舵を操作して船首を260度方向に向け、「舵中央」と言われると舵を戻し、船は260度方向を直進する。


 しかしこの操作は、自分の船の感覚を掴むまでは難しい。何故なら大型船はボートと異なり、舵を回したからといってすぐにする転針わけでではないし、一旦回頭し始めると舵を戻してもしばらくは頭を回し続けるからだ。

 船橋には、無線、レーダー、ソナー、機械室、潜水室、ジャイロ室、甲板、調理室など様々な部署から連絡が入る。
 大型船が誰か特定の英雄ではなく分野の異なった専門集団の協力で動いているのだ、ということを僕が初めて実感した時だった。おそらく、機械長は僕にこれを理解させるため船橋へ派遣したのだろうし、船橋は同じ理由で僕に舵を取らせたのだろう。

 機械室にいる僕が何かミスをしたら、その影響は全体に及ぶ。その日以降、僕は暇さえあれば机にかじりつき、専門書を片端から読み漁った。

素足のうさぎ~雨

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15.雨

ついさっきまで晴れ渡っていた空が、灰色に変わっていく。
冬の空は、ほんとうに気まぐれだ。

「雨が降って来たね。濡れちゃうから、もう帰らなくっちゃ」

そんな時、少女は目を細めてじっと僕の顔を見つめる。

15. Rain

The sky which was clear until only a few minutes ago turned into gray suddenly. The winter sky is really a whim.

'You should return to the house because of rain'
When I said it, the girl narrowed her eyes, and gased me.


素足のうさぎ~大きな瞳、光の窓

bright


 

 少女は、ふだん目を細めて何かを感じ取るような仕草をすることが多かった。
 けれども、ふとした折に大きく目を開き快活になった。

 僕はその情景を今でも覚えている。

 まるで揺れる波間からさっと陽が射し、辺り一面に光が跳ね、照らし出された魚たちの赤や黄が鮮やかにきらめく、そんな感じだった。

素足のうさぎ~幸福な時間

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14.幸福な時間

ほんの少しからかうと、
ぷうっと頬をふくらませて、小さな手で僕の頭をポンと叩く。

それから二人で笑って、
幸福な時間が過ぎていく。

14. A peaceful time

When I bantered the girl, she puffed out her cheek and tapped me with her little palm.

Then we laughed in peaceful time.

司馬遼太郎の言葉~「ものを見る達人たち」より

 「リアリズムということは物を見ることです。物を見るということをいちばん商売にしているのは絵かきです。ダ・ヴィンチやミケランジェロはリアリズムです。精密な恐ろしいような目で、あるいは神のような目で肉体なら肉体を見る。」 (ものを見る達人たち/ 司馬遼太郎)

 司馬氏は学徒兵として体験した太平洋戦争、そして戦後の学生運動等を通し、それらに欠けていたもの、すなわちリアリズムを考え続けた。「コップの中で思考を旋回させ、コップの外を見ない」から身を過つと彼は言う。

 物を観るというのは忍耐と体力に恵まれていないとできない。納得がいくまで雨の日も雪の日もじっと対象を観察し続け、また別なときには対象を追いかけ幾日も歩き続ける。そうやって鍛え上げられた目で物を観る。

 優れた作家とそうでない作家の違いは何だろうか。僕は、ストーリーではなくリアリズムだと思う。優れた作家は、背景を詳細に描く。「この人はどこかでこの光景をじっと観察し、それを文章としてどう描こうかと思考を巡らしたんだな」と本を読んでいて思う。

 僕たちは、そういう優れた作家や画家が特殊な目で観察した事物を、作品を通して知覚する。だからこそ自身にとって何でもないような風景や事象が深い意味をもつことに気付き、それに心を震わせる。

素足のうさぎ~さようなら

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13.さようなら

「寂しいから、さよならは言いたくない」

だから少女は、家に帰る時に何も言わない。
少し歩いて、一度だけ振り返って、それから再び歩き出す。

またすぐに会えるものね。
それで十分だよ。

13. Good-bye

'I don't want to say good-bye.'

Therefore the girl said nothing when she got to return home.
She walked a little and looked back at once, then walked again.

It's more than enough.
We'll be able to meet soon.

ある若き機関員の航海日誌(港でのひと時編) 

  午後5時過ぎになると各居住区は外出組の身支度で騒がしくなる。航海中、船に閉じ込められている船乗りにとって、帰港時の外出は何より嬉しい。皆、朝から「今日は、あの店で何を食べよう」などと話し合い、夕方の外出を楽しみに待つ。

 彼らが街へ繰り出すと、船はかなり静かになる。いささかほっとする時間でもある。居残り組は、夕食後船内を清掃し、残りの時間をのんびり過ごす。

 僕の場合、後甲板で釣りをして過ごすのが好きだった。穏やかな潮風に吹かれながら、さざ波が舷側を洗う音に耳を傾けるのは心地よい。

 日没後は、岸壁や浮桟橋に設置されているオレンジ色のハロゲン灯に誘われて、色々な魚やイカが寄って来る。それらを釣り上げては、その場で捌き刺身にする。

 ことにイカは格別で、透明でコリコリとした刺身をうずらの生卵入り醤油に泳がせ、口に放り込むときの幸福感はちょっと筆では表しにくい。

 そんなことを1人でやっていると、先輩たちが飲み物やポータブルのカセットレコダーなどを持参してやって来る。

 郷里のこと、彼女のこと、仕事のことなどを誰となくポツリポツリと話し出すが、陸上の人々のように上司の悪口や仕事の愚痴などは出ない。乗員は船長を含め皆家族同様だし、自然相手の仕事だからだ。

 僕みたいな新米は、何か悩みがあってもこのような機会に遠慮なく上司へ相談できる。そんな時、上司は説教じみたことをけっして言わない。彼らにとって、部下が口に出すことの大半は自身がかつて通った道のひとつなのだ。その時、自分がどう考え、どう行動し、後で振り返ってどう思ったのか、ということを息子や弟に語るように説明してくれる。

 午後10時、夜食調理と風呂のために稼働していたボイラーを停止し、残った蒸気を排気塔から吹き出し、内壁に付いたすすを吹き飛ばす。船は、遠くで漁火が明滅する静寂に同化する。

素足のうさぎ~笑顔



12.笑顔

雨降りの午後、
傘もささずに水とはしゃぐ子。

天の滴に潤されて
もうすぐ、とっておきの笑顔が生まれる。

12. A smile

In the rainy afternoon, the girl enjoyed with the water without umbrella.

A brilliant smile would appear soon under the waterdrops of the heaven.

旧約聖書の言葉~ヨシュア記より

And they utterly destroyed all that was in the city, both man and woman, young and old, and ox, and sheep, and ass, with the edge of the sword.

 彼らは町に住んでいたすべての生き物を殺し尽くした。男も女も、若者も老人も、そして牛や羊、ロバまでも、剣の餌食にした。(ヨシュア記 6:21)

 上は旧約聖書のヨシュア記の一節で、神がユダヤ民族に与えると約束したカナンの地(パレスチナ地方)を彼らが実際に先住民族から奪い取る際の場面だ。

 さて、以前ある知人が旧約聖書に書かれた一節一節を挙げて、中東で現実に起こっていることとリンクさせ、「聖書のこの部分は、この事件に関する予言だ」という旨のメールを幾度か送って来たことがあった。アメリカがアフガニスタンやイラクで戦争を始めた頃のことだ。

 旧約聖書は、古い時代に書かれた神話であり、またユダヤの民族史という側面をもっている。だから、そこに記されていることについていちいち目くじらを立てることはない。

 だが、その神話という観念的な世界を現実に持ち出してくる行為にはある種の危険が伴う。上で彼は「聖書のこの部分は、この件のことを言っている」と述べるに止まっているわけだが、人間の思考上では、ふとしたきっかけでそれが「こうなってもいい」となり、やがて「こうなるべきだ」と変転しかねない。そして、それらは言葉の上ではほんの些細な変化だが、具現化するととんでもない災禍に拡大するのだ。

 観念的な世界で人間の命をどうこう言うのは容易だが、彼の挙げた事件ではいずれも非戦闘員、つまり老人や女性、子供まで命を落としている。そこに視点を置いたとき、例えば眼前で異教徒・異民族の母親が怯えながら子供を庇っているとき、彼はまだ自分の大義を口にし得るだろうか。
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