言葉と鉛筆で描く日常風景 201601

東南アジア素描~家守(ヤモリ)


先日、ビールを飲みながら絵を描いていたら、子供のヤモリがヒタヒタとやって来た。

最初は茶色い瓶が好きなのかと思った。次に瓶の表面の水滴が目当てなのかと思った。が、どうもそうではなく、たんに涼みに来ている様子だった。
 
この国の動物は概して人懐っこいが、ヤモリはその筆頭だ。
オーブンの下から頭だけを突き出しているのを見つけると、僕はパンくずをあげる。最初は見向きもしないが慣れてくるとよく食べるようになる。
こうして親しくなると、むこうは頭を上げてジーッと僕を見つめるようになる。

僕が気づかずにいると、妻が「House-keeper is waiting for you」と言ってくる。
そこで袋からパンを出すと、オーブンの下から2歩くらい前に出てき、パンくずを摘んで見せるとさらに5歩ほど近寄ってくる。

僕は動物をケージの中で飼うのが好きでないので、こういう関係、つまり互いに相手に依存するわけでなく、しかし寄り添って生きているというのがわりに気に入ってもいる。

ノルウェイの森(村上春樹著)

 今日、タイ語版ノルウェイの森(村上春樹著)を読み終えた。僕がタイ語版を読むのはこれが2度目であり、他に日英語でも十数回読んでいる。

 この本を読み終えた時、いつもどうしようもない孤独感に襲われる。なぜだろうか。若い頃は、たんに物語そのものが終わることからくる寂しさからそう感じるのだと思った。が、いつ頃からか、別な要因があることに気づき、やがてそれが主要な理由と考えるようになった。

 優れた本は、読む度に新しい感覚を読者に与えてくれるものだ。それそのものは自身の発展を意味し、無論悪いことではないのだが、自身の感覚が変わることで、それまで周囲との間でとっていた微妙なバランスが崩れることがある。もう少し具体的に言えば、例えばそれが恋人や友人との別れの遠因になったりもする。

 よく考えてみれば、ノルウェイの森という物語そのものがそうだ。誰かが何かと出会うことにより内面に変化が生じ(成長し)、それまで住んでいた世界から各々が別な方向へと歩き出す。そして、その過程で当然別れが生じる。皆、歩き出すときはひとりだから、誰かの温もりを求めるのだ。

日常の風景~恥しがり屋のアリス2



新年、おめでとうございます。
昨年、ずっと見守って下さった方々に心よりお礼申し上げます。

Patterson's House


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