言葉と鉛筆で描く日常風景 東南アジア素描~私の人生にはもう何もない
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東南アジア素描~私の人生にはもう何もない

ある日、出会った日本人。

団塊の世代に属する方だった。
たった一度、簡単なアドバイスをしただけなのに、僕と食事をしたいと事務所の外で僕の仕事が終わるのを1時間以上待っていてくれた。

食事は楽しかった。
新車を工場から出荷する際、大量生産品にも関わらず当時の車は個々に異なる特性を持っていたというような話に花が咲いた。

僕はもともと団塊の世代の多様性に敬意を抱いている。
1ドル300ー360円の時代とはいえ、当時の日本の工業製品は現在でも世界に誉れ高い。
その頃の日本は、欧米諸国に追いつこうと懸命だった。
最初はコピー商品またはOEM商品を作っていたが、やがてその品質が本家を越えるまでになったメーカーもあった。

また、当時の日本には様々な方面に多様性があった。
社会に個性を受容する寛容性があったためだと思う。
僕は90年代初頭までは日本の様々な分野の本を貪り読んでいた。
だがその後、数時間、本屋を彷徨い歩いても読みたい本が見つからず、結局,読書をすべて英文に切り替えた。

僕の世代は、多感な時代に彼ら団塊の世代がつくった黄金期を体験している。
だから、あるものが良いかどうかすぐに判る。
日系企業がこの国にショッピングモールをつくったとき、僕はビルに入ってすぐにここはうまくいかないと思った。
コンセプションがまるでマーケティングの教科書からコピーしてきたような拙さで、どの店も目を誘う個性がなかった。
そのビルは、数年後、空きテナントだらけになった。

「もう、どうでもいいんだ。人生、あと少しだし」と彼は話の合間にポツリとそう言った。
残りの人生をひっそりとこの国で過ごしたいと言う。

似たような言葉をオーストリアの精神医学者ヴィクトール・E・フランクルの本で読んだことがある。
「私の人生にはもう何もない」という患者の言葉に対し、フランクル博士は、「何ということをいうのだ。未来に何が起こるのか何人も知り得ない」と言った。

「この国で住むのなら、日本の生活習慣、あるいは価値観を持ってきては駄目だ。現地の人と同じ生活をして下さい。そして、自分が死ぬときに手を握ってくれる人をみつけて」と翌日メールを送った。
それきり、彼からのコンタクトはない。

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幸せでいてくれてますように!

Patterson's Houseさんこんにちは!

今日は私はお休みで、今ダラダラ寝っ転がりながら‘素敵な誰かさん’見てました。(この中の絵が1番好きです)
今回の記事読んでちょっと寂しくなりました。この方が何処かで素敵な誰かと一緒に楽しい気持ちでいてくれたらいいですね♪

Re: 幸せでいてくれてますように!

ふゆこさん

お忙しい中、心のこもったコメントを有難うございます。

「素敵な誰かさん」は、大学生の頃、こんな子供を授かるといいなと思ってつけた名前です。
でも、「いつか出会える」というのはエンドレスで、「今日はどんな素敵な人と出会えるかな」といつも思っています。

妻の父親が亡くなる前、高校生の孫娘が毎夕手を握って笑いかけていました。
日本ではなかなか見かけない光景だな、と思いつつ、ほんとうの家族の姿を教えられたような気がします。
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